アニメ感想(とその他諸々)を書き綴る

とある大学生がアニメの感想を書き殴っていくだけのブログ。になる予定でしたが全然関係ないことも書きます。趣味とか。なんかいろいろ。

ダンガンロンパ3 絶望編 11話「さよなら希望ヶ峰学園」 感想

まず、ホームルームのシーンから。

何も知らずに見たら、先生と生徒の感動的な別れのシーンにしか見えないだろうが、彼が皆絶望してるということを知っている視聴者からすると、言い知れぬ恐怖感というか、狂気のようなものを感じた。幸せそうな雰囲気が怖いという、なんとも狂っている感覚。これぞダンガンロンパだと思う。

そんな絶望的な始まりだった11話だけど、とにかく目の離せないという感じの30分間だった。

 

約束を交わす霧切パパと黄桜、絶望と化した77期生たち、コロシアイが始まる前の78期生(舞園さんが苗木嫁だということが判明)などなど…

 

ゲームとの矛盾もしっかりと解消されていたし、また未来編と並行して進行しているため知らなければ単なるセリフだけど、そうでなくもっと深い意味を持つもの(逆蔵が悔しがるシーンとか)も出てきて、とにかくよかった。

 

そして、Cパート、原作ファンには嬉しい日向と七海の出会い。よくわからんって人はぜひ原作プレイしてくれ!面白いから!絶望的に!

 

あとそうそう、見ていくうちにカムクラは悪でないどころか絶望落ちもしていなかったことがわかったのも個人的にはよかったかな。じゃないと日向は報われないにもほどがあるよ。そして最後の文字。「希望編に続く」でいいよね?

制作決定らしいし、さらに期待です!

2の映像化なんだろうか…とにかく期待!

 

で、ここから感想というかいろいろ考えたことを書きます。

今回は「希望」と「絶望」について。

絶望編11話を見て感じたのは、予定調和は実際には希望ではなく絶望の方なのではということ。

カムクラが絶望堕ちしなかったことも一つだし、江ノ島の人類絶望化は「彼女の予定通り」に進行していくわけだし、江ノ島にとっての苗木は「読みにくい」ある意味で危険人物であるわけだし。

 

ここまで挙げてみるとますます想像がつかないのは「希望」の方なのではないかと思えてきます。

 

では、江ノ島自身はそのようなことを考えなかったのだろうか?答えは否です。

ずば抜けた分析力を持つ江ノ島がそうした疑問を持たなかったというのはにわかには信じがたい。

 

では気づいた上でなぜ放っておいたのか。

それはひとえに、彼女にとっての「希望」は「絶望」であったからではないのでしょうか。超高校級の彼女にとっては絶望こそが全て。その絶望が面白くもなんともない予定調和だとしたら。

それこそ絶望的です。

しかしその先にある絶望すら予定調和。もしも彼女が絶望は予定調和であると気づいてしまったら、彼女にとって絶望は無価値なものへと成り下がる。

 

それによる絶望。

 

繰り返されていく無価値な絶望。

 

そうなってしまわないために、彼女はチートとも言える洗脳ビデオを封印し、コロシアイをさせたり、味方であった残姉を簡単に切り捨てたりーーそんな真似をしたのではないでしょうか。そうすることで、絶望に飽きないために。絶望は予想のできないコロシアイを起こすんだと、面白がるために。絶望的な状況では、実の姉でも簡単に死んでしまうんだと絶望するために。

もちろんコロシアイを行わせた原因には苗木誠の存在も大きかったでしょう。自分自身が予測できない気持ちの悪い、危険人物。自分では彼に対抗できない可能性が高い。

それならば他の超高校級の才能を持つ人間を使ってコロシアイゲームという絶望的な状況で、殺してやろうと、そう思ったのではないでしょうか。

なんて、ちょっとした妄想を展開してしまいます。

 

ということで、ダンガンロンパにおける希望と絶望、そして江ノ島盾子についての妄想でした〜